水たま♪旅日誌    旅・歴史・お酒が大好き

お勧めスポットや旅先での景色・銘酒など旅日誌を中心に、たまに備忘録などきままに書き綴っております。

⑥海岸沿いの駅! ~ ☆島原を巡る

3泊4日の旅行も最終日!

熊本の天草でレンタルした車は、長崎空港で返却なので、島原からずっと長崎空港まで移動です。移動途中に、どっか寄れる観光スポットないかなぁ~? で、見つけたのがこちら。。

 

大三東駅(おおみさき駅)

島原鉄道大三東駅。 

 

 

黄色い電車が留まっているのが駅です。

この駅は、何で名所なのかというと・・・

 

ここは、日本一海に近い駅! なのです。

 

 

ホームの向こう側は、浜辺です。そのまま砂浜が広がっています。

 

ホームには、電車と同じ、黄色のハンカチが吊る下がっています。

ハンカチには願い事が書かれていました。幸せのハンカチみたいな感じですね。

また、お天気も雲一つない最高のお天気で。。。

海も、駅も、黄色のハンカチも、素晴らしく冴えわたって見えました!

 

 

この駅、最近では、キリンレモンのCMで使われていたよです。

上白石萌歌ちゃんが出演するのがこのCM  ↓

 

www.youtube.com

 

素朴ならが、美しくて良い駅だったわぁ~♪ なんておしゃべりをしながら空港まで進みます。

少し時間があったので、途中でもう一つ寄り道。

 

諫早公園にある 眼鏡橋

長崎の眼鏡橋といえば、長崎市内にかかる眼鏡橋を思い浮かべますが、長崎には幾つか眼鏡橋があり、この諫早公園にかかる眼鏡橋は、国の文化財として登録されているようです。

 

 

関東では、こういった石でできた眼鏡橋のような形、あまりお見掛けしません。

 

 

これがまた、なかなか美しい橋でございます。

歴史を感じます。

 

さくっと立ち寄った眼鏡橋を後に・・・

少し遅めのランチです。

友達が食べたことない!というので、

長崎名物『 トルコライス 』を食べさせてくれるお店に行きました。

 

~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~

トルコライス」とは、長崎県ご当地グルメで、ピラフ・スパゲッティ・ポークカツをワンプレートに盛り付けた料理のことです。ピラフとナポリタンスパゲッティの上に、デミグラスソースをかけたポークカツをのせるのが一般的なスタイル。

こんな感じです。

 

 

お邪魔したのは、駐車場付きのこちらのお店。

 

バ~~~ン! これを注文しました。

昨今のトルコライスは色々アレンジがあるようです。

私達が注文したのは、「レディーストルコライス」で、普通より少し小盛になってます。 さらに、カツだけではなく、エビフライも乗ってます。

間違いのない美味しさでございました。

久しぶりのトルコライスに大満足♪でした。

 

そして、3泊4日熊本~長崎旅行は終わりました。

6話に渡り、御覧頂きましてありがとうございました。

どこに旅にでかけても、その時々にそれぞれの感動があり、思い出があります。

しかし、今回の旅はアクセスが悪く、一度断念した旅だっただけに、実現できたことはとても嬉しかったでした。

美味しい物を頂き、美味なお酒を飲み、友達とのお喋りに花を咲かせ、すべてが楽しい旅行になりました。お天気にずっと恵まれていたこともラッキーでした。

 

飛行機では、自前のお菓子をもちこんで、レモンサワーでお疲れさんの乾杯!

CAさんに「旅のお帰りですか?お友達同士で楽しそうですねぇ~」と、声をかけられました。「はい、とっても楽しかったです♪」

 

 

⑤島原は水の郷 ~ 島原を巡る

島原市内には70か所を超える湧水地があり、その湧水量は一日20万トンといわれてます。

昭和60年に「日本名水百選」に選定され、平成7年には「水の郷百選」に選定されている。

前回のブログにも、島原城下の金物屋さんの一角に湧き水がでていて、イオン水で肌にもとても良い!なんて記事を書きましたが、島原城下から少しだけ離れた街を散策すると、そこは湧水の街!という感じで、それはそれは綺麗な水が沢山ある街でした。

 

綺麗な水が湧いてくるので、鯉なんかも泳いじゃっています。

『 鯉の泳ぐ街  』

 



 

水路に鯉が泳いでる街!というと・・・

岐阜県飛騨の古川山口県の津和野宮崎県日南市の飫肥、辺りに行った事がありますが、大体鯉が泳ぐんですから水は綺麗!

綺麗な水と鯉!といえば、当然水路が整えられています。そして大体どこも城下町。

となると、まさしく私が大好物な街並みになります♪

ここの島原も、とっても美しい街並みがありました。

 

 

*湧水庭園四明荘

伊東元三氏(当時開業医)が別邸として建築せれましたが、四方の眺望に優れていることから「四明荘」と名付けられました。

色とりどりの鯉が泳ぐ庭園の池へは一日に約3000トンもの清水が流れているそうです。

 

お庭には、鯉が泳ぐ綺麗な池があります。

 

 

久しぶりに見ました!! 人面魚!!

人面魚というか、マグマ大使みたいだけど・・・(うぅ、マグマ大使分かる人どのくらいいるかなぁ~~(≧◦≦))

 

↓ こちらの水源は、3段階に段差が作られている水たまりがあり、上の方から湧水が出てきます。

これは生活の知恵で・・・

皆でここで洗濯する時、一番下の段の水たまりで一番汚れてる物を洗い、綺麗になってゆすぐ時になったら、一番上の綺麗な水の場所でゆすぎをする!という具合に、

水の綺麗さ度合いで洗濯を使いわけるって事のようです。なるほど、生活の知恵ですね。

 

 

かんざらしの『 銀水 』

上の写真に写っている建物。そちらが、島原名物「かんざらし」を提供してくれる

甘味処の『 銀水 』さんです。

 

 

かんざらし」ってな~~んだ!?

 

みずみずしくモチモチした食感のお団子と、
甘過ぎず最後まで飲み干せる蜜で食べるスイーツです。

 

シンプルで、素朴なんですけど、めっちゃくちゃ、と~~~~っても美味しかったです。お土産でも買ってきたんですけど、ダメですねぇ~

やはり、現地で食べるかんざらしには到底かないません。

これ~~~~!!!

 

お店も風情があっていいではないですかぁ~^^

島原にお越しになる際は、この「かんざらし」は、絶対食べて下さいませ~!

今回の旅で、一番インパクトがあった食べ物かもしれません。

 

あっ、ついでの話ですが、美味しかった食べ物の一つで・・・

この日の夜、ホテルを出て居酒屋「ぱくり家」さんんで頂いた

*揚げ素麺* (島原B級グルメ グランプリ受賞!)

島原の手延べそうめん!も有名です。これも美味しかったわぁ~~♪

 

綺麗な水つながりで・・・

翌日の午前中にちょっと立ち寄った場所

 

◆ 舞岳源水 ◆

島原の舞岳の中腹にある知る人ぞ知る水くみスポット「舞岳源水」
カエルやダルマ、七福神など縁起ものの石像に囲まれた不思議な空間が広がります。
ミネラルをたっぷり含んだpH7.2の軟水で身体にもよく長崎県の『ながさき水源の森』としても認定されている穴場水汲みスポットです。

 

なんとなぁ~く、おどろおどろしい雰囲気があります^^;

 

でも、こんな蛙達も並んでいます(≧◦≦)

よくわからないけど・・・・・

とりあえず、水はとても良いようで、多くの人が水を汲みにきていました。

 

 

今回は、島原の水巡りをご紹介しました。

島原って、島原の乱島原城普賢岳。。そんなイメーージでしたが、この湧水を利用した鯉が泳ぐ街とか、名物かんざらしとか、とても素敵な町でした。

次回は、最終日!

海沿いの駅をご紹介して、長崎の旅が終わりになります。

今回もお付き合いありがとうございました。

 

 

④島原の乱を学び~普賢岳~島原と進む ~★島原を巡る

前日に長崎の南島原にフェリーで入り、世界遺産群の一つになってる原城跡を見学しましたが、この日はその原城であった「島原の乱」などが詳しく解説されている、

 

★有馬キリシタン遺産記念館  の見学からスタートです。

 

 

ここの資料館はメチャクチャお勧めです(といっても、興味のある方限定ですが・・)

ビデオなどもあり、とても分かりやすく詳しい解説がされていました。

今回、熊本の天草に始まり、隠れキリシタン島原の乱と、禁教の中でのキリシタン達の歴史を辿りそして学びましたが、本当に来てよかった!と思いました。

遠方でアクセスも悪いのでなかなか行きずらい場所でしたが、それゆえ余計に思い出に残る歴史探訪の旅となりました。

キリシタンについては、ここで終了~!! この後は、島原観光へと進みます。

 

*島原名物 手延べそうめん

昨夜泊まったホテルでもでてきましたが、島原は素麺が有名です。

素麺といえば、揖保乃糸兵庫県。そして香川の素麺も有名です。

私が実際に食べた感想では、1位 香川素麺  2位 島原素麺  3位 揖保乃糸

って、感じでした。ここの素麺はとてもこしがつよく、しっかりした味があるように思いました。お土産もしっかりゲットしましたよ。

 

ささっ。南島原から、車を走らせ島原に向かいます。

その途中で寄りたかったのがこちら。

 

普賢岳土石流被災家屋保存公園

今年も年明け早々から本当に悲惨な災害に見舞われましたが、日本は毎年何か大きな災害があるように思います。

この普賢岳の噴火の時もとても大きな被害がでました。1991年6月の事でした。

 

遠くに美しくそびえたつあの普賢岳が噴火し、何と海岸まで火砕流が流れ出したのですから、その距離はすざまじいものです。

写真をとっているその場所が、被災地を保存した公園になっています。

これ、高台に私がいて、下の場所に家がある!のではありません。

普通に建っていた建物の2階部分まで火砕流が流れ込んでしまったという事です。

 

こんな感じです。

そのままに残した家屋を屋内に保存してる感じです。

どれほどすごかったのか、、、本当に自然災害には成す術もありませんね。。

 

そして、いよいよ島原城に到着!

島原城と城下町

お城の事はあまり詳しくありません。

ただ、今回キリシタンの勉強をして来た時、原城から島原城に代わり、この島原城を築城するために領民達に厳しい労働や年貢などが課せられ、みんなが苦しんだ!という事を勉強してきたので、なんとな~~く複雑な気持ちで見学しました(≧◦≦)

 

じゃ~~ん! 島原城。 そしてポツンとレンタカー。

 

城下の町をさくっと散策~♪

ふ~~む。お城を見ながら暮らすって、なかなか良い景色だなぁ~なんて思う。

 

いいじゃないですかぁ~ こんな感じ^^

 

このレトロな建物は、「猪原金物店さん。

ガイドマップにも載ってますが、レトロな雰囲気がとても素敵で、建物横には、水が湧き出ていて、飲んでよし! 化粧水代わりに肌に付けても良し!の マイナスイオン水だそうです。 これ ↓

 

そして、お腹ペコペコちゃんで、ランチのお店行きます。

こちらもガイドマップに載っていたお店。

元々は理髪店でしたが、今は軽食なども扱う喫茶店

*青い理髪店

 

床屋さん時代の鏡もそのまま~~!

何だかすご~くレトロで面白い^^  そしてランチがこちらです。

 

 

ご年配の奥様がきりもりされていた、何だか不思議な空間のレストランで食事をすませ、この城下町と少しだけ離れた、武家屋敷跡に向かってみます。

 

武家屋敷跡

立派なお城があれば、当然武家屋敷などもあった訳で、島原の武家屋敷跡は、

ドラマでも使われるという、と~~っても風情ある佇まいでございました。

 

武家屋敷跡を見学して、裏口からでてきたら、こんな景色が目の前に広がりました。

 

 

おぉぉ~~~~~!!!! 

なんと素敵な道が続いているのでしょう。

道の中央には、とっても綺麗な水がながれている溝があります。

熊本も名水で有名ですが、ここ島原もとても水が綺麗な町のようです。

 

 

人のいないこんな素敵な道を、ゆっくりゆっくり歩きながら、風情を楽しませてもらいました。

この後、さらに名水の町島原を散策します。。。

 

③天草四郎って‥なるほど‥~ ★隠れキリシタンの旅

遅ればせながら、新春のお慶びを申し上げます。

毎度毎度のマイペースでの登場ですが、自分の無理のないペースでこれからも細々まったりとやっていきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

 

では早速、前回の天草・崎津集落の見学を終えて、島をぐるっとまわり、長崎に移動して行きます。

海岸沿いをレンタカーで快調に飛ばします♪

甘草海岸沿いには「天草夕陽八景」なるポイントがあって、きっとさぞや夕陽が綺麗なんだろうなぁ~と思います。

 

 

 

甘草のある熊本と長崎の間の海岸は、イルカウォッチングができるようで、いくつか観光船がでているようです。

可愛いイルカも見たかったのですが、時間の余裕がなく今回は断念!

 

さてさて、いよいよ熊本県天草から、レンタカーごとフェリーを利用して長崎に渡ります。

甘草のキリシタンの様々な事を学び、そして何より、隠れキリシタンを巡る中で、一番重要な『島原の乱』これをしっかり学んでみたかった。

 

★フェリー乗り場

 

鬼池港 ➡ 長崎(南島原)の 口之津港 まで船で渡ります。

甘草を巡る道中いくつか目にした「天草四郎の像」

ここのフェリー乗り場にもいましたよ。

 

フェリー、来たぁ~~~!!!

  無事乗船~~!

海に沈もうとする太陽をみながら、船内でご当地の柑橘「きびる」を使った

キビルサイダーなんか飲みながら、巡ってきた天草の歴史なんか思い起こしながらゆったりと時間を過ごす。もうじき南島原です。

 

原城跡(世界遺産群の一つ)

宿に入る前に、原城跡を訪ねます。

今はもう何も残っていませんんが、ここが日本史上最も大きな暴動(当時は一揆)の

島原の乱 』 の舞台となった「原城」があった場所です。

今はただ広い敷地だけが残っていますが(写真はWEBより拝借してます)ここには昔、三方を有明海に囲まれ難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城でがありました

 

 

島原の乱天草四郎

長崎は南蛮との往来もあり、キリスト教布教も大変盛んでキリスト教徒も沢山増えていた地域です。

豊臣秀吉の頃から、キリスト教布教の禁止令はありましたが、それはまだ多少ゆるいものでした。しかし徳川の時世になると、それは厳しくなり、1613年、全国に向けてキリスト教禁止令が出されました。

長崎や天草地方にはキリシタンも多く、大名は改宗を進めましたが、人々は隠れながらキリスト教を信じ続けていました。それが隠れキリシタンの歴史なわけですが・・・

この頃、この原城を廃城にして、新たに島原城を築城しようとします。

それでなくても厳しい年貢にあえいでいた領民でしたが、城普請の費用を確保するために、領民達に通常の2倍の年貢を課しました。

当時は、ヒエもアワも食べられなかったといいます。そんな究極に苦しい生活の中で彼らを支えていたのが、キリストの教えであり、キリスト教そのものだったわけです。

しかし、その唯一の支えの「キリスト教」さえ厳しく禁じられたのです。

そして1637年、天草四郎を指導者に据えた領民たちが一揆を起こしたのです。島原、天草の領民たちが合流して廃城になっていた原城に籠城。

4か月に及ぶ戦いで、領民の被害者数は3万7,000人を超えていたと言われています。

しかしこの領民達だけで、討伐軍の軍勢12万人を相手にしたといいますから、領民達がどれほど奮闘したのかが伺えます。

島原の乱で多くの領民が亡くなり、この界隈の領地に在住する者が激減してしまい。この土地への移住をすすめたらしいです。)

総大将の天草四郎原城落城のあと捕らえられ、長崎でさらし首にされました。

この城跡からは、多くの遺骨が掘り出されていて、今でもまだ土の下には沢山の遺骨が残ってると言われています。

 

 

この一揆に至るまでに、領民達はいかほどの辛い思いをしていたのかと思うと胸が熱くなります。

甘草でタクシーに乗った時、年配の運転手さんと少しお話をしました。

 

私が島原の乱もそうですが、パレスチナの戦いもやはりそれぞれの神を信じる力は大きいですねぇ~」と言ったところ。

運転手さん「島原の一揆はもちろんキリシタンの反乱という事もありましたが、でもそれだけではないのです。皆貧しく苦しい生活を強いられていたのです。だから戦うしかなかったのです。仮にキリシタンが弾圧されたとしても、彼らが普通の暮らしができていたらあんな一揆は起こらなかったはずです。中東の戦いもそうです。宗教が基本にありますけど、きっと苦しい生活が根底にあるはずです。だから戦うしかないんだと思います。」

運転手さんの言葉は、何だかジ~ンと胸にしみました。

 

さて、その天草四郎 一体何者だったのか?

天草四郎の本名は益田四郎父親はキリシタン大名小西行長の家臣で、父もまたキリシタンでした。四郎は9才の頃から学問を始め長崎に遊学に行っていたようです。

四郎が生まれた1621年の8年前に当たる1613年、キリスト教禁止令が出された年に、「25年後に神の子が出現して人々を救う」とマルコス宣教師が予言を残していました。

そしてちょうど25年後の1637年、四郎は数々の奇跡を起こしたとされることから、人々は「神の子だ」と噂をするようになります。これが、ちょうど島原の乱が勃発した年です。

当時、四郎は若干16歳!という若さ。まあ、日本版ジャンヌダルク!?みたいな感じでしょうかね?

 

しかし、この島原の乱で大きな犠牲を出した以降、徳川はますますキリスト教に対しての取り締まりが厳しくなったようです。

 

熊本の天草から島原まで巡って、色々な資料館もみて、様々な事を学びました。

こういう学びがあるのも、旅の楽しさの一つです。

今宵のお酒は、また格別に美味しい~♪

 

②念願の崎津集落を巡る ~ ★隠れキリシタンの旅

前回、入り江越しに見えた崎津集落いよいよ、その中に入っていきます。

崎津集落のシンボルともいうべき教会。

この崎津で、隠れキリシタンの歴史を一杯学べました。

 

◆ 崎津カトリック教会 ◆

静かで、ひなびた集落の中にひっそりと佇んでいる教会ですが・・・・

そこには悲しい悲しい歴史があるのです。

 

実はこの場所、キリスト教禁止令の中、イエスキリストの絵を「絵踏」をさせられた場所なのです。

よく私達は、踏絵(ふみえ)といいますよね。

踏まれる絵の事を「踏絵」といい、キリストの絵を踏ませる事を「絵踏」と言うのです。更に言うと、それは「絵」ではなく、銅板のような物に彫られていた絵のようです。

 

その「絵踏」は、吉田庄屋役宅で行われたそうです。

キリスト教解禁となった時、まさに「絵踏」が行われていたその場所に祭壇を置き、この教会を建てたようです。吉田さんも快く提供してくれたそうです。

 

ここに教会たてるよ~~!!って建てて下さった神父様がハルク神父様です。

 

 

人っ子一人いない静かな教会でお祈りをささげ、次はすぐ目の前にある資料館に行きました。

 

◆ 崎津資料館みなと屋 ◆

ここは以前は旅籠だったそうです。リノベーションして今の資料館にしたようです。

 

ここでは、無料で館内資料の解説をして頂けました。そのお話が大変貴重なもので、

なぜここ一帯が世界遺産に登録されたのか、そんな説明もされました。

 

*まずは、この大きな貝殻を見て下さい。

解説にありますが、貝殻の内側の凹凸の模様がマリア像のように見えることから、

こういった物を「信心具」として使い、崇めたり、祈りの時に使ったりした訳です。

何しろ「キリスト教は禁止」されているわけです。十字架やらマリア像やらが見つかると死刑(本当に死罪だったんです)になってしまうのです。

苦肉の策で、何か代替品を作ってそれを信心具として扱ったのです。

ここは、海沿いの漁師の町です。よって、このような貝殻などが用いられたそうです。

(貝殻の凹凸がどうマリア像に見えるのか、色々な方が見ると色々に見えるそうです。ちなみに私は赤ん坊を抱いてるようなお姿に見えました)

 

*次はこの「ウマンテラさま」という像を見て下さい。

こちらは、崎津の隣村から出土された石仏です。

 

びっくりなのは、この石仏は(道祖神みたいですが)西洋によく見られる絵画で、

”背に翼が広がり、剣を手にして悪魔(サタン)を打ち倒す姿”で描かれている絵が

原型となっているのです。 ↓これです。

 

石仏の「ウマンテラさま」は、何となく可愛い道祖神のような風情ですが、

いやいやよく見ると、足元は、サタンの上に立ち、仏様の背中には羽がついています。

更に手には剣のような物を持っています。

紛れもなく、サタンを剣で成敗している、大天使ミカエルそのものなのです。

すごいですねぇ~~!! 日本風にアレンジして石仏にしたんですね!

お祈りをする隠し部屋。柱をくり抜いて、その中に信心具を隠したり・・・

禁止され、弾圧されようとも、彼らなりに必死にその信仰を守り継承していこうとするその強い信仰の力が、本当に心打たれます。

 

ここ一帯が、潜伏キリシタン世界文化遺産に登録されたのは、

禁止されたキリスト教の環境の中、宣教師も神父も誰もいないまま、200年にも及ぶ禁教時代を独自の形で地元の者達だけで信仰を守り続けた! このような事例は、世界中他にどこにもない! その希少価値が認められて、世界文化遺産に登録されたそうです。

 

本当に小さな小さな集落なんです。 観光地といった雰囲気もありません。

 

崎津集落を後に、海岸沿いを走ります。

すぐ先には海が広がっています。

海上マリア像 ◆

崖の先端にマリア像が見えます。

 

もう一つ行きたかった

◆ 大江カトリック教会 ◆

白亜の美しい教会でした。

撮影禁止のため写真がありませんが、教会の中の半分位に畳が敷かれています。

ミサの時などは、皆さんその畳の上に座られるようです。

そんな事も、ここ天草ならではの文化なのかもしれませんね。

 

世界中の子供たちがマリア様の周りに集う像。

世界が本当に平和になる日はやってくるのでしょうかね・・・

 

大江キリスト教会の、すぐ下に、「ロザリオ館」という資料館があります。

そこも沢山の資料があり、ビデオなども放映されており、大変興味深かったです。 

 

最後に 

隠れキリシタンを題材にした映画 『 沈黙 サイレンス 』 をご紹介しておきます。 結構衝撃的な映画で、目を覆いたくなるシーンもあります。

しかし、昔はこんな状況だったのだなぁ~と、胸が痛くなりました。

 

沈黙 サイレンス : 作品情報 - 映画.com (eiga.com

 

さて、次からはいよいよ、長崎に渡ります。

天草四郎」とは、どんな人物か!? その辺りもご紹介させて頂こうと思います。

 

①天草世界遺産を訪ねて ~ ★隠れキリシタンの旅

~*~*~*~*~ ご挨拶 ~*~*~*~*~*~

早いもので、今年もカウントダウンになりました💦

今年から私のブログも、出来る時に自分のペースで・・と、ブログにインしない日も多く、ブロ友さんにも不義理をすることが多く、申し訳なく思っております。

でも、時々でも覗かせて頂くブロ友さんはじめ、色々な方の記事をきままに読む時間はとても楽しいです(⌒∇⌒)

これからもポチポチペースですが、宜しかったらお付き合いくださいませ♪

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

 

さて、去る10月に、ちょいと渋い旅をしてきました。

昔、隠れキリシタンの特集をTVでやっていて、私自身もミッション系の学校を卒業したこともあり、その特集で取り上げられていた地域に興味を持ちました。

更にコロナ前でしたが、2018年に世界文化遺産

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産登録された【天草の崎津集落の景色に釘付けになりました。

何て神秘的な雰囲気なんだろう~!!

こんな感じの写真です。

 

 

行きたい!と思い、以前一度プランニングしたのですが、あまりの遠さにくじけて日程の調節も難しく断念。しかし今回、その旅を晴れて実現することができました。

かなり、充実のそしてマニアックな旅となりました。

 

遠いのです! まず、羽田空港 ⇒ 熊本空港  そこから飛行機乗り換えをして

天草空港に移動です。1日1本しか便がなく、天草につくのが15:30。

ほぼ1日かけての移動になります。

 

可愛いプロペラ機です。これは恐らくイルカをモチーフにしてるのではないかと^^;

 

2シート2列。 一応CAさんが一人乗務していました。

シートポケットに入っている小冊子が、手作り感満載で何とも微笑ましくなります^^

 

天草空港到着~~♪

なんか、かわいい~~(*´pq`))ウフッ

 

空港に唯一留まっていた、貴重なタクシーに乗り、今日中に行きたい場所まで移動

 

◆ 天草キリシタン館 ◆

まずは、初っ端!キリシタンのお勉強を致しましょう!って事でこちらの資料館へ

これから天草ではいくつもの、キリシタンの資料館に入ります。色々回る内に、隠れキリシタンの過酷な運命のその歴史をしっかり学ぶことができました。

 

★【 天草四郎 】の像

甘草が誇る英雄。天草四郎 これから天草を回るわけですが、この天草四郎の像は至る所に設置してあります。

誰もが絶対何となく聞き及びあるこの人物。 実際はどんな人だったのか、これからじっくりと学んでいきます。

 

小高い丘にあるので、眼下には天草の町の景色が広がります。

 

今宵の宿は、お料理がとても美味しく、しかもリーズナブルな『海心』さんという宿

お料理は次々と色々な品が運ばれてきたのですが、どうも写真を撮り忘れます・・・

 

せっかく天草に来たのですから、やっぱりお酒は地場のもの!

本醸造天草四郎」 そのまんまやん!

 

 

さて、いよいよ、観光開始!

2日目からレンタカーを借りて、これから3日間 熊本・天草⇒長崎へと進んでいきます。

甘草は人があまりいません。

コロナとは関係なく、やはりアクセスが悪いため、なかなか気軽に観光客も来れないのかもしれません。

一路、釘付けになった写真の崎津集落に向かっていきます。

途中・・・

 

宮地岳かかしの里 ◆

という、かかしが一杯ある里村に立ち寄りました。道の駅が併設されており、なかなか可愛いスポットでした。

最近、レンタカーで田舎の観光地を回っていると、こういったかかしが沢山飾られた地域によく出くわします。

気楽にできる、ちょっとした村おこしになるのかもしれません。

 


そして、いよいよ・・・

崎津集落

朝靄に霞む集落の写真に魅了されましたが、私達が見た崎津集落は、青い空、エメラルドグリーンの海に囲まれた、清々しいほど美しい姿でした。

 

 

 

小さな入り江越しに対岸の崎津集落を写真に収めましたが、これから写真に見える教会に行きます。

悲しい悲しい歴史がある、教会・・・次でご紹介いたします。

 

⑩アムステルダム散策・後編 ~ ベネルクス3国とドイツ旅行

10回という長きに渡り今回の旅行記事をアップしてきました。興味のない方にはつまらないお話しだったと思いますが、自身の旅の記録としてどうしても残しておきたくて、長々と綴ってきました。

そしてこれが旅の最後の記録でございます。

 

前回に引き続き、アムステルダムのフリー散策の後半でございます。

花市場

オランダと言えば、チューリップ♪ですが、アムステルダムには花の球根や苗、更にお土産物などを集めたお店が軒を連ねる、花市場という場所があります。川沿いに何件ものお店が並びます。

残念ながら、球根は日本に持ち帰る事ができないので、ここでは買えません。

こちらでは、オランダ名産のデルフト焼き風車のお土産を買いました。

 

アムステルダムの街を歩き進めます。

アムステルダム路面電車トラムが走ります。

こんな広い道路も石畳になっているのって、すごいなぁ~と思います。

なぞのオブジェを通りすぎ・・・街の中心へ

*ダム広場

昔、アムステル川を塞き止めたダムがあった事から、ダム広場。

アムステルダムという名前も、アムステル川+ダム が合体した言葉

大勢の人で賑わうダム広場。正面にあるのは王宮。

広場近くにある大きなデパート。

市内散策をする場合、トイレに行きたくなったらここのデパート5階に行って下さい。飲食店以外に使えるトイレはここだけです!と言われてました。

日本はどこにいても、トイレに困る事はない。。恵まれた国なんだなぁ~と、改めて実感!

更に歩きます。

 

運河沿いに間口の狭い家が建ち並びます。いかにもオランダっぽい風情です。

がしかし、建物がちょっと、かしいでいるように見えます。

実はこれ、わざと建物が前方に倒れているように作られているのだそうです。というのも、建物の一番上にちょっと棒のようで出っ張ってる物があります。あそこに滑車を設置して、縄をつないで下から荷物を上に引き上げるそうです。

建物の間口が狭いので、大きな荷物はその滑車を使って引き上げるしかないらしい。。荷物を引き上げる時、荷物が建物にバッタンバッタン当たらないように、建物を少し斜めに傾斜させているそうです。

びっくりなお話しです。

アンネ・フランクの家

アンネの日記」のアンネ・フランクが隠れていたお家が、ここアムステルダムにあります。

今は博物館になっています。

見学したかったけど、予約は3か月前からでない取れない!という人気っぷり。

 

この建物の上の階の奥まった隠し部屋で、アンネは息をひそめながら暮らしていたんだなぁ~と思いながら外から眺めていました。

大戦の時、ユダヤ人はドイツに迫害されていた訳ですが、今もまた、中東でユダヤ人とパレスチナ人との熾烈な戦いが繰り返されいるのを見ると、人種や宗教など、争いのない世界なんて果たして実現できるのだろうか。。。と思ってしまいますね。

 

さて、そろそろ、グループ待ち合わせの場所に向かう事にします。

 

大きな橋の上は、カフェになっています。

日本にはない風景ですよね~

 

う~~ん(;^_^A アセアセ

やっぱり、何だか建物がガタガタ歪んで建っているようで、ちょっと笑えちゃいます。

これで、いいんだなぁ~って・・・

 

帰国する最終日!

なんと、かつてない!!という程のすごい台風!!(このオランダの台風は日本でもニュースになるほどの、かなり大きな台風でした)

アムステルダム駅は閉鎖され、全ての電車は運休。

私達は貸切バスでオランダ空港まで行きましたが、空港内では相次ぐ便の欠航がアナウンスされます。

こりゃ~~延泊だなぁ~! ニヤリ(。-∀-)ニヒ なんて思っていたんですが、、、

非常に限定された数本のみ、運航する!という事になり、

その中にKLMオランダ空港成田行きが入り、何とか無事に帰国する事ができました。

ちなみに、他の航空会社の便は軒並み欠航になってました(*≧∀≦)

ありがとう~~! オランダ航空!

さようなら~~~! オランダ~~!!

長き記事にお付合い頂きありがとうございました。

これにて、やっと完結でございます。。